八幡社
信濃に兵をあげた木曽義仲が平氏を追って京都に攻め上がる時、加賀での敗戦で援軍を乞う知らせをうけただちに越後がら今井四郎兼平を先発として越中に向けた。
兼平は平氏の軍勢が潮のように、おそいかかるのを<いとめる役目を果たすため悲壮な決意で出発したという。
その兼平が寿永2年(1183)5月、御服山(呉羽山)に陣をとった時、安養坊の坂を上がる途中 馬から降り、平氏との決戦の勝利を祈願した場所と伝えられている。
この地には円明山延命寺が建てられていたので丸山と呼ばれるようになったという。
昭和49年5月吉日 呉羽山観光協会