寒江の郷

寒江の郷 昔と今の観光案内

・寒江の郷
  奈良時代の郡の郷名。およそ この地図の範囲と考えられる。
・倉垣庄
  その後 倉垣庄と呼ばれ 平安時代から鎌倉時代の500年間 京都下鴨神社の荘園(領地)であった。
・荘園(しょうえん)
  貴族・神社・寺院が地方の領主や豪族より寄進を受け私有地とする。資金力があるので、より良い農具を与え全国で開墾が進んだ。
・牛が首用水
  農民の熱意が加賀藩を動かし1624年に着工、9年後難工事の末に本流の古江(こうえ)が完成した。
その後 数々の改良工事がなされた。水路は網目のごとく拡がり灌漑区域は旧婦中町、射水市東北部も含めこの地図全体に及ぶ。
・北陸街道
 1660年支藩であった富山藩が正式に独立したので、加賀藩が新しく北陸街道を整備して参勤交代は、旧北陸街道の富山町を通過するのを差し控えた。
・石黒岩次郎
 苦労の末 優良な稲の品種 銀坊主を発見した。
・土池弥次郎
 呉羽梨栽培技術の先駆者
平成18年3月 改訂更新 呉羽山観光協会


地図