寺子屋教育に尽くした人々
田中可成(かなり)は文政11年(1828)から弘化四年(1847)の二十年間弟子百三十余人を教えたといわれ、
真野(まの)成次は可成の後をうけて近在の子弟の教育に生涯を捧げた。
民権実学の思想家、海内果(はたす)も弟子の一人であった。
その後、明治元年から同5年の学制領布まで森田清風が、寺子屋を開き地域の教育の礎を築いた。
明治6年8月、海内果、森田清風、本庶瑞雲の主唱により、海内果の兄の森田清風の家を分借して菁莪(せいが)小学校が誕生した。
その後、何回か場所を移転して現在の老田小学校になった。
(中老田郷土史より)
呉羽山観光協会 中老田自治会
平成21年12月
田中可成、真野成次の筆塚が向かい合わせに建立されている。