平沢池の排水門跡
農業用水がコンクリートでなかった昔は、村内にいくっもの溜池があり、渇水期には放流していた。
農業構造改善事業がおこなわれた昭和40年前後には、平沢堤(2町歩)、中才堤(8反歩)、金糞堤(1町歩)があったが、用水が完備されるとともに、農道拡張の面積補てんのため埋め立てて農地にした。
平沢池は江戸時代から昭和まで300年間も活用され、夏場の渇水時に放流して、稲作に十分役立っていた。
又、行事としては9月5日が秋祭りであったので、前日の9月4日早朝に池を干し、放流してあった鯉を各自が捕えて秋祭りのご馳走にした。
平沢池は、稲作用水として重要であったこと、稲作のために苦労した先人の努力を忘れてはならないと思う。
(中老田郷土史より)
呉羽山観光協会 中老田自治会
平成23年2月