旧北陸上使道と道番
旧北陸上使道と道番(御巡見往来)
この道は金沢、石動から富山に入る北陸街道の一路線であり、巡見上使道でもあった。
巡見上使道とは、江戸幕府が寛永10年(1633)三代将軍家光の時代に全国を六班に分け、三人一組で国廻りをさせ、富山には複数の指定路があった。
この街道の鍛治川橋に加賀藩が寛文6年(1666)道番二人(長兵衛、関兵衛)を置いて往来の安全を見守ったので、「道番」の小字が残っており、地元では「御巡見往来」と云って大切に守っている。
又ヽ豊臣秀吉が佐々成政を降伏させるため天正13年8月(1585)太閤山から呉羽丘陵白鳥城に本陣を進めたときも、この道路を通っているといわれている。
(旧北陸街道を歩く実行委員会資料より)
呉羽山観光協会 中老田自治会
平成21年12月