舟場の由来

 旧鍛治川は蛇行してこの場所を流れ、元禄年間改さくされた下流の新堀川は放生津泻に注ぎ、富山湾と放生津は魚業と商業の町であったので、塩、鯟〆粕肥料、炭、木材などをこの地で買い求め舟で運んだ。
 天明(1781~1788)年代に中老田には舟12艘あり、毎日のように舟の発着があったと思われる。
 この地から舟手で米を運ふときには、船頭のほかに1~2名の荷主が付いて行った。
 寛政11年(1799)放生津に暴風雨が吹き荒れ、泻の中で舟一隻が転覆し5名が犠牲になったといわれている。
 大正になって荷馬車運搬が始まり、舟運は大正木期でなくなった。
  (中老田郷土史より)
  呉羽山観光協会 中老田自治会
  平成21年12月


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