菁莪小学校設置の地

菁莪小学校設置の地 (せいがしょうがっこう) (明治初期)

昔は子供に、読み書き、そろばんを教えたところを「寺子屋」といい、室町時代から明治初期まで寺や民家を借りて、子弟の教育がおこなわれた。
経済的なことから地主や中堅自作農の男の子が通ったが、小作農の子供は行けなかった。
 明治5年、国民皆学の思想により、明治政府が「学制」を公布して義務教育制となる。
 明治6年、森田清風、海内果、本庶瑞雲の主唱により、海内果の兄の森田清風の家を分借して、菁莪小学校が誕生した。
富山県資料によれば、当時の県地区内の就学率は男子46%、女子7%で非常に低いものであった。
 その後、何回か場所を移転して現在の老田小学校になった。
  (老田郷土史及び県史統計より)
  呉羽山観光協会 中老田自治会 
  平成21年12月


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