金尾柳神斎
金尾柳神斎の碑
金尾柳神斎(1847~1896)は、名を栄蔵といい、富山市が生んだ明治の武道家です。若い時から力が強く、志を立てて上京し、剣術を榊原健吉(将軍家茂の教授)に学び、また柔道を嘉納治五郎(講道館長)に学びました。
上達して富山に帰り鹿島町に百畳敷きの道場を開き、柔道と剣道を教えました。 数百人の弟子の中から柔道では板坂氏や剣道では近代の名剣士 中山博道範士も出ています。一人で柔道と剣道の両方を教えたのは 珍しいことです。
柳神斎はとても強い人でしたが 心は優しく子供たちも なつきました。また水泳も達者で神通川で溺れた人を十八人も助け、何度も表彰されました。
この碑は昭和4年に建立され碑銘は日本柔道の開祖嘉納治五郎の筆で、裏面には漢学者で(文学博士、東大名誉教授)塩谷温が漢文で柳神斎がどんな人だったかを詳しく紹介されています。
なお前の石柱も塩谷温「号、節山」の筆になるものです。
平成13年 呉羽山観光協会