馬頭観音
旧射水地域は、明治時代まで湿田が多く、農作業は鍬を中心にした作業効率のわるいものであつた。
その後、農事の改良、乾田化が進み、馬鋤による荒起、馬鍬による代掻きなどにより農作業が効率的になった。
射水郷の乾田化のはじまりとともに、昭和初期には、役馬の数が増えていった。役馬の労苦に感謝するとともに、無事息災を祈り、病死の馬の冥福を祈って、有志17名が発願主になり、村内一同の協力を得て昭和8年4月馬頭観音を建立した。
由緒は小杉町、蓮王寺僧正、上田秀路、碑面は中橋憲太郎の筆による。
(射水平野土地改良区資料及び中老田郷土史より)
呉羽山観光協会 中老田自治会
平成21年12月