高王百位観音像
高王白衣観音菩薩 (こうおうびゃくえかんのんぼさつ)
大正時代から昭和にかけて富山県を代表する代議士として活躍された高見之通(ゆきみち)氏の念願に成る。
氏は明治13年富山市に生まれ、東京帝大を卒業して弁護士を開業。令名高く郷土の信望を担ってその後国政を志す。当選七回を果たし、政友党領袖として尾崎行雄(咢堂)、犬養毅(本堂)ら盟友と共に国政に邁進された。
郷土にあっては地方発展に貢献され、飛越鉄道(高山線)の開通、紡績工場の誘致、当時苦境にあった売薬業への印紙税の撤廃に尽力、伝統産業に活路を開いた。
この頃、氏に思いもかけぬ災が降りかかる。政界の松島事件に巻き添えにされ、家族・郷友憂いに暮れ、夫人は病床に臥された。氏は自身の潔白と夫人の平癒を祈念し、相国寺に入って禅の教えにすがり高王白衣観音菩薩(三十三観音の一菩薩)の延命十句観音経を日夜唱え続けた。すると天地これに感応して無罪と健康を与えられたと云う。氏の人生には観音の霊と共に歩んだとしか思えないいくつもの語り草が今も家人に伝えられている。
この仏恩に報いんと、氏はこの呉羽山が聖地と悟りここに観音像が安置成されたのである。
氏は生涯礼節と清廉を貫いた人であり、且つ、時代は軍拡の流れの中にあっても凛として世界平和を主張したのであった。この姿を知る人達がこの観音を「高見平和観音」と称する所以である。
平成16年3月 呉羽山観光協会